又吉直樹 の『劇場』

わたしは又吉直樹という人に実際会ったこともないし、言葉を直接交わしたこともないけど
やっぱりこの人好きだなぁと思った。

純文学だなと思った。

又吉さんが(以下、又吉)が芸人として売れていなかった貧乏時代、神社で木から実が落ちる瞬間をただじっと見ていたときに同じように木の実を見ていた女性を『この人なら僕のことをわかってくれる』と思った元恋人の話や、
舞台でお客さんが睨むようにこちらを見ていても誰もが靴を買いに行った瞬間があったと思うとおかしくて安心すると言っていたこと
又吉がどこかで話していたこと、又吉直樹というフィルターを通して見ている世界、感じている世界がそのまま小説の中の劇場に表現されている。

前作、『火花』にもあるように
又吉の描く主人公はとにかくかっこわるい。
努力型の自分とは違い才能がある人、天才肌の人への憧れが非常に強く、劣等感の塊である。
嫉妬や羞恥心や罪悪感、敗北感
そんな負の感情に常に支配されている人間の心模様の描き方が本当に繊細で痛々しい。
けどこのような感情が創作する上で、いや生きていく上では大事でなくてはならないのかもしれない。

小説の中で主人公、永田が書いた演劇の脚本に自ら「読み返したら男女が別れるだけの単純なもの」と言っている。
そう、まさにこの『劇場』もそうだ。

そもそもこれは恋愛小説なんだろうか。

心が繋がった瞬間はどこにあったんだろうと思うくらいにすれ違う。
『この人は僕のことをわかってくれた』のだろうか。

白か黒かわからないこと
自分でも自分のことがわからない
人の気持ちがわからない
まして、わかろうとすることがこわい

そんな矛盾じみた曖昧で不可解な人間そのもの。

そこにどうしようもないほど救いはないのかもしれない。
けれど憂鬱の中の日常そのものをいかにありのままに表現する強さ、そこに彼の才能が光っているし、そこに人は惹かれるのだ。

わたしもApricotとして音楽活動しているが、ルーツであるUKロックの精神に似ている気がした。
ただ淡々と自分に正直に生きていくことは難しい。
だから『音楽』で表現する。
わたしは人と話すのが昔からあまり得意でなかったから行き場のない思いを曲をつくるとゆう方法で昇華させている。
もちろん、曲を作ってライブをして誰かに聞いてもらうことは大切であるけど
身を削って曲が完成した時点でやっと呪縛から解放される、成仏するのに近い。

もしかしたらこの方法は間違っているかもしれない。
馬鹿げているかもしれないけど、そんな微かなことで人は救われたりする。

だとしたら又吉がこの『劇場』を書き上げたことで過去の恋愛に対しての思いを昇華させてまた次の恋愛に進んでゆくのかと思うとなんだかうれしくもあり切なくもある。

やっぱりこの人好きだなぁと思った。

新潮 4月号掲載
又吉直樹 『劇場』
http://www.shinchosha.co.jp/sp/shincho/tachiyomi/20170307_1.html